個人的なことだが、とても嬉しいことがあった。
どうしても感謝のご挨拶に伺わねばと思い、夜明けとともに長野の飯縄神社に向かう。
いつもとルートが違い、車(つまりはカーナビ)も違ったため、迷子になってしまってなかなか着かない。
あの山(飯縄山)で迷子になると、けっこうきつい。
「こ、これは……飯縄様に拒絶されているのかなあ……」
などと涙目で弱音を吐き、いい加減あきらめかけてふと前方を見たら、神社の案内板が、
「こっちだ、たわけが。こっちだ!」
と矢印で先導してくれた。
あな、ありがたや。

涙を拭き拭き、ようやく到着。

一応、「北信濃三大パワースポット」のひとつのはずなのだが(あとのふたつは、善光寺と戸隠神社)、いつ訪れても人の気配はあまりない(あくまでも私が訪ねるときは、だが)。
そもそも宮司さんも常駐していない。
以前、御朱印をいただきに宮司さんを訪ねたことがあったが、着いてみれば戸隠神社のすぐ近くであった(つまり、飯縄神社からはずいぶん遠い)。
でもいいのだ。
神様独り占め。
こんな至福、他の神社ではめったに味わえない。

鳥居の前で一礼。杖をついて階段を上る。

飯縄神社(正式名称は、皇足穂命神社/すめたりほのみことじんじゃ)拝殿。
この裏に本殿がある。
境内貸切状態で拝殿の前に立ち、天津祝詞を奏上。
つづいて飯縄神文、飯縄様のご真言も。
でもって、誰もいないのをいいことに、長々とご挨拶とご報告。
心からの感謝とともに、深く、深く、こうべを垂れる。
小説にも書いたことがあるが、私の先祖は飯縄山のこの近くの村(今では「長野県上水内郡飯綱町○○」)の出である。
今でも私の本名と同じ名字の集落が、飯綱町のある一帯に広がっている。
縁とは異なものだと、つくづく思う。
いろいろなことが、つながっていく。

参拝を終え、駐車場に向かう途中の道から撮影した風景。
写真では分からないが、遠くに見えるのは長野市の街並みだ。
今日も汗だくで、神社をあとにした幽木でした。