さて。
どうして2024年の石丸さんは、ご紹介したような大波乱の運氣の中、
都知事選において強烈な爪痕を残す大善戦的結果を残すことができたのか。
前回私はこう言った――石丸さんは、宿命内の年干「壬」を味方に引きずりこんだのではないだろうか。
甲 壬 丁 戊 壬
辰 子 卯 申 戌
説明しよう。
「壬」とはなにを意味するか。
「壬」がある年干支は「親の場所」「目上の場所」。
甲 壬 丁 戊 壬 ← 親の場所、目上の場所
辰 子 卯 申 戌
だが石丸さんは「生年中殺」(という宿命)なので、生まれつき年干支はすべて「中殺」されている。
甲 壬 丁 戊 壬 ← 中殺
辰 子 卯 申 戌 ← 中殺
———
辛 ← 中殺
丁 ← 中殺
戊 ← 中殺
つまり年干「壬」は「中殺された親の場」ということになる。
すると、どうなるか。
ふつうの「親の場」が「親(や目上)は敬うべき対象として見上げるのが自然」だとするなら、
中殺されていたらそうはならず、
ある種反逆者的に、攻撃すべき対象として目上の人々を敵視したりする不自然な状態になったりする。
これが、石丸さんという政治家の大きな特徴。
この年の石丸さんになぞらえて言うなら、
小池百合子都知事による「現体制(旧体制)」こそが「中殺された親の場」であり、敵視し、攻撃すべきターゲット。
2024年の石丸さん(日干「丁」)は、そんな「壬」を仮想敵とみなし、合体(干合)をしにいった(壬丁化木)。
甲 壬 丁 戊 壬
辰 子 卯 申 戌
↓
甲 壬 乙 戊 甲
辰 子 卯 申 戌
そして干合を果たした結果、
「壬」は「甲」に、石丸さん自身をあらわす「丁」は「乙」に変わったのかも知れない。
「干合」を果たしたことで、石丸さんはうねる奔流と化した水性の攻撃から身を守れるばかりか、
干合の結果木性「乙」へと変わった自らを、奔流によって「水生木」と後押ししてもらえる運氣へと変貌させることすらできたのではないだろうか。
だが、もしもそうだとすると、問題点が二つ。
まず一点目。
この年、都知事選で大善戦を果たし、一躍全国区の有名人となった石丸さんは「丁」ではなく「乙」。
つまり「石丸さん本人(丁=実氣)」ではなく「虚氣」である。
「虚氣」は「うつろ」。
どこまで行っても「虚」。
なので、この年の石丸さん人気は、ある意味「虚像人気」とも考えられる。
そして二点目。
もしも干合に成功し、石丸さんが「丁」から「乙」になったとしたならば、
甲 壬 乙 戊 甲
辰 子 卯 申 戌
「壬戌」から変化した年干支「甲戌」と、2024年の年運干支「甲辰」の間に「納音」が発生する。
納音――つまり、
人生が180度変わるようなことが起きる。
つまりこの年、石丸さんの人生を一変させる出来事は、
本来いるべき場所から180度も離れた「本来いるべきではない場」へと、石丸さんをいざなうことになる、とも読める運氣が発生するのである。
そして、もしそうだとしたら――。
2024年の大ブレイクを、石丸さんは決して手放しで喜べない。
すべては「虚」であり、石丸さんは本来の位置からすさまじく離れたところにいる。