幼かったころ、私は家の男性陣の中でもっとも手先が不器用だった。
男性陣には私のほかに父と弟がいた。
父は特別専門的な教育を受けたわけでもないのに、部屋(人が住む部屋)やバスルームまでひとりでこしらえてしまうという、あり得ない人物だった(算命学を学び、その人体図を見てようやく父を理解できたが)。
父が増築したその部屋もバスルームも、家を売りに出すまでびくともせずにしっかりとあった。
今でも信じられない。
また弟は、小学生のときから絵や彫刻の才能に恵まれ、幼くしていろいろな賞を取った。
長じて美術系の大学に進み、今はグラフィックデザイナー、Webデザイナーとして禄を食んでいる。
(ちなみに若い頃は、俳優の中沢元紀さん――というよりNHKのテレビドラマ『あんぱん』の千尋くんに瓜二つというぐらいよく似ていた。天は彼に、二物も三物も与えていた)。
そんな二人といっしょに暮らしているのだから、私の劣等感たるやすさまじいものだった。
子供の頃の夢は漫画家になること。
だが弟が描く絵を見るたび、夢はしぼんだ。
(成績で言うと、弟はいつも美術は「5」。私はよくて「4」。「技術」なんて「3」笑。父に似て、弟は「技術」もいい成績だった)。
彼我の差は歴然としていた。
もったいないことをしたなと今では思うが、私は通っていた絵画教室も、漫画を描くこともやめた。
あんなに「美術」が、あんなに「漫画を描くこと」が好きだったのに。
社会人になっても美術館には通いつづけたが
(好きなんです、美術館。絵を見ることはずっと好き。美しいものが好き。美術館だけじゃなく、美術家も美術史も好き。あ、ちなみに私は「占い」も「怪談」も「美しい」と思っています。ヘドラもね笑)
自分で絵を描くことなど、長いことなかった。
「絵というもの」とまた向かいあう日が来るなどとも、正直思わなかった。
そんな私が、ある日突然「仏画」と出合った。
いきなり「仏像」と出合ったときのように。
きっかけは、新聞の、とある記事だった。