マイ仏教美術④

そんな私だからこそ、「出逢い」や「出合い」はどんな形で訪れるか分からないと、心から思う。

「御朱印集めはスタンプラリーじゃない」

そうした批判的な意見を耳にするし、その意見が間違っているとも思わないが、別にスタンプラリーだっていいじゃないか、とも思う。

ただし、スタンプラリーのままで終わるのか、そうではないのかは、その人次第。

なんらかの「縁」がある人は、スタンプラリー同然に始めた御朱印集めでも、やがて「その先」に見えるものが変わっていく。

偉そうなことを言うつもりはない。

経験者としてそう思うというだけのことである。

わけも分からず、「俺は一体何をやっているんだろう」と思いながら分け入っていった仏像拝観の果てしなき樹海。

やがて「仏像」は「仏さま」に変わり、私は自分が思ってもみなかった旅路の途上にいることを、歩きながら知った。

「自分から近づいていった」とずっと思っていたけれど、

もしかしたら凡夫な私に嘆息した仏さまのほうから「近づいてきてくださった」ような気も、今となってはする(不遜なことを言っているつもりはありません)。

それぐらい、180度級の大変化となる経験を、思いがけず私はした。

間違いなく私の人生は「仏像以前」「仏像以後」に分けられる。

そして私は「仏像」の樹海を入口にして「仏教」の深く静謐な森へと入り、

師と仰ぐお坊様(私は在家なので「師匠」とはお呼びできないが、まぎれもなく私を仏教の世界というか仏道に請じ入れてくださった恩人にして師僧)のお書きになった諸々の文章などを教科書にして仏教を学び、

ご神仏とともにある暮らしを日常とするようになった末、やがて私は「仏画」という、「仏像」とは異なる仏教美術と出合うことになる。

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この記事を書いた人

占術家、算命学ナビゲーター、「幽木算命塾」塾長、怪異蒐集家。
算命学、紫微斗数、九星気学などの占術を使い、運命(宿命、運勢)という名の神秘の森に分け入る日々。
オンラインスクール「幽木算命塾」で後進の指導にあたる。
占いで出逢ったお客さまなどを中心にさまざまな怪異を蒐集し、竹書房怪談文庫などで公開も。
奇妙な毎日は、ご神仏とともにある。

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