鎌倉国宝館「仏画入門」とおみくじ

鎌倉国宝館で「仏画入門」という展覧会が開催されていました。

そして、じつは今日がその最終日。

悩みましたが、半日で帰ってくるつもりで朝早く出かけ、開館と同時に駆けつけました。

雨が上がり、文字どおりの梅雨の晴れ間。

鎌倉はとてもいいお天気でしたが、蒸し暑さはいかんともしがたく、汗が噴きだしてきます。

美術館や博物館で「仏像展」が行われることは珍しくありませんが、「仏画展」ははっきり言って珍しい。

私、個人的に仏画も学んでいるものですから(と書くのは初めてかな。でもまあ、そうなんです)、こんな美術展があると知ったら行かないわけには行かなくなりました(鑑定をお待たせしているお客さま、たいへん申しわけありません。やらなければならないことがあることは分かっているのですが、占い師にもちょっとだけ休息を。m(_ _)m)。

以下はあくまでも、仏教にも仏画にもまだまだ素人同然の人間のつたない感想ですが、高い文化的、歴史的価値を持つ仏画を集めた仏画展が、仏像展のように人気を博すのは難しいように感じました。

なぜか。

仏像は「彫刻」という性質上、時の腐食に比較的耐えられるように思いますが、「絵画」である仏画は難しいように思えます。

その仏画が誕生、お披露目されたときに持っていたはずの豪華絢爛な美しさや荘厳さ、エネルギーが、文字どおり色あせてしまい、本来の魅力がなかなか伝わりにくい。

これが仏像だと、豪華絢爛だったはずの装飾(色)が剥げて木の材質が剥きだしになってしまっても、これが逆に歴史を感じさせたり「いいねえ」などとなったりして、「令和のこの時代に藤原時代(鎌倉時代でも飛鳥時代でもいいですが)の仏像を見る、今ならではの楽しみかた」ができやすいですが、仏画だとそうはいかない。

そもそも仏画は「美術品」ではなく(もちろん仏像も同様です)、信仰のための「依代」的なものとして日常的に宗教行事に使われたりしたものが多いでしょうし、そういう理由からも他の美術品(西洋絵画や日本画など)と同じ視点で語ることはできないようにあらためて思いました。

でもね、仏画って美しいんですよ。

私は仏画の師匠の作品に初めて触れたとき、涙が出るほどの神々しさにうたれ、「仏画ってこんなにすごいものなのか」と雷に打たれたようになりましたもの。(そのせいで、今は自分の描く仏画を見ては、別の意味で涙を流す日々ですが笑)

私はそもそも仏像に魅せられ、深く仏教に傾倒していくことになった人間で、仏像は仏像で言うまでもなく大好きなのですが、そんな次第で今では仏画にもひとかたならぬ思いを抱く日々。

鎌倉国宝館の「仏画入門」はわたし的には出かけた価値のある、とても勉強になる展覧会でしたが、同時にいろいろと考えさせられながら、超特急で埼玉に帰還した今日の結城でした。

ところで――。

国宝館は、ご存じ鶴岡八幡宮の境内の一画にあります。

駐車場へと戻る道すがら、境内の白旗神社に参拝をしたり、鶴岡八幡宮にも参拝をしたり。このところ忙しくて神社に参拝にも行けなかったので、とっても気持ちがよかったです。

新郎、親族と幸せそうに記念写真を撮っている花嫁さんも目撃しました。

また、あれはリスだったのかな、かわいい小動物も境内で目撃。

こういうときって神さまに歓迎されているのだと聞いていたので「おお、鶴岡八幡宮様に受け入れていただいている!」などと喜んだのですが、調子に乗って引いたおみくじは「凶」笑。

おみくじって、おそろしいですよ。

当たるとか当たらないとかいうレベルのものではない気が個人的にはしています。

私、今までおみくじって「吉」とかしか引いたことなかったんです。

ですが今年は、年頭から何度引いてもこんな感じ。

何度も引くなって話もありますが、引くたびにこんな感じがつづく本年のカオスな日々(公私ともに、ちょっとばかりグチャグチャです)に目にするおみくじの言葉のひとつひとつに、逆に私は「私を守ろうとしてくださっている神の存在」、あるいはもっと平たく言うなら「神意」めいたものを、強く、強く、感じています。

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この記事を書いた人

占術家、「幽木算命塾」塾長、怪異蒐集家。
算命学、紫微斗数、九星気学などの占術を使い、運命(宿命、運勢)という名の神秘の森に分け入る日々。
通信制私塾「幽木算命塾」で後進の指導にあたる。
占いで出逢ったお客さまなどを中心にさまざまな怪異を蒐集し、竹書房怪談文庫などで公開も。
奇妙な毎日は、ご神仏とともにある。

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