マイ仏教美術③

どうしてだろうなと、ずっと私は不思議だった。

たくさんの、貴重な古仏が一堂に会する胸躍る空間のはず。

それなのに、博物館で出合う仏像たちには、

お寺を訪ね、お坊様などのご好意で拝観させていただく仏像のような、そこから発せられる「圧」(どう言えばいいのかよく分からない)がない。

どうしてだろうなと、よくわからなかった。

そんなあるとき、私は「魂抜き」(「たまぬき」と聞いたが「たましいぬき」と呼ばれることも多いらしい)なることを知った。

聞けば展覧会に出品される仏像は、お坊様の手で魂を抜かれ、

「信仰の対象」としてではなく、ある種の「もの」「美術品」として、お寺をあとにするのだという。

目から、鱗。

そういうことかと腑に落ちた。

私の中で「仏像」が、「仏さま」に変わった。

忘れられない通過儀礼。

「仏像」との出合いを求める私の旅は、「仏教」と出合う旅だったのだ。

いや違う。

多分「仏教」は、ずっと私の中にあった。

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この記事を書いた人

占術家、算命学ナビゲーター、「幽木算命塾」塾長、怪異蒐集家。
算命学、紫微斗数、九星気学などの占術を使い、運命(宿命、運勢)という名の神秘の森に分け入る日々。
オンラインスクール「幽木算命塾」で後進の指導にあたる。
占いで出逢ったお客さまなどを中心にさまざまな怪異を蒐集し、竹書房怪談文庫などで公開も。
奇妙な毎日は、ご神仏とともにある。

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