どうしてだろうなと、ずっと私は不思議だった。
たくさんの、貴重な古仏が一堂に会する胸躍る空間のはず。
それなのに、博物館で出合う仏像たちには、
お寺を訪ね、お坊様などのご好意で拝観させていただく仏像のような、そこから発せられる「圧」(どう言えばいいのかよく分からない)がない。
どうしてだろうなと、よくわからなかった。
そんなあるとき、私は「魂抜き」(「たまぬき」と聞いたが「たましいぬき」と呼ばれることも多いらしい)なることを知った。
聞けば展覧会に出品される仏像は、お坊様の手で魂を抜かれ、
「信仰の対象」としてではなく、ある種の「もの」「美術品」として、お寺をあとにするのだという。
目から、鱗。
そういうことかと腑に落ちた。
私の中で「仏像」が、「仏さま」に変わった。
忘れられない通過儀礼。
「仏像」との出合いを求める私の旅は、「仏教」と出合う旅だったのだ。
いや違う。
多分「仏教」は、ずっと私の中にあった。