四柱神社に、かえる

亡父の回忌法要やら、なにやらかにやら。

いろいろと、実家のことでやらなければならないことがあり、なんとか数日スケジュールを空けて松本に帰省(お待ちいただいているお客さま、申し訳ございません)。

母とは何だかんだよく会い、よく喧嘩もするのですが笑、弟夫婦とは4年ぶりでした。

すべてのスケジュールを終え、松本を後にする直前、松本城からすぐ近くにある「四柱神社」様に参拝に。

おりしも秋の「神道祭り」の最中でした。

四柱、と書いて「よはしら」と読みます。

よはしらじんじゃ。

もっとも我が家では、私が小さい頃から家族全員、ずっと「しはしらじんじゃ」と呼んでいましたので、「じつは、よはしら」だと知ったときは驚きましたが、どうも松本の地元民は「しはしら」と言っている人、多いのだとか。

また、亡くなった祖母などは「しんと」「しんとにお参りに行ってくる」などとよく言っていましたが、地元では「しんと(神道)」と呼ぶことも多いこの神社は、社名から想像がつくとおり四体の柱(神様)をお祀りしています。

今から40数年前。

私は四柱神社からほどない距離にある街場の高校に通っていました。

そして毎日放課後になると、神社の裏手は上土通りという場所の、それは小さくて薄汚い喫茶店(愛と敬意とノスタルジーをこめて)――5人も入ればもういっぱいというカウンターだけの喫茶店――に顔を出しては、仲間たちと夜遅くまでワイワイとやっていました。

同じ高校出身の先輩Aさん(当時29歳だったかと。中央大学法学部まで卒業してるのに、ニヒルな雰囲気を漂わせながら喫茶店のマスターをやっているその人に、17歳の私は強くあこがれていました。まさに、インテリヤクザな文学青年を地でいく人でしたね。マスターなのに昼間からお酒飲んでは酔っぱらっている、社会人としてはちょっとどうなのという人でしたが、私はAさんが大好きでした)がやっていたお店で、高校の仲間やら信州大学のお兄さんがたやら、いろいろな人が集まっては毎晩盛りあがっていました。

もちろん、とっくの昔にもうこの店はなくなってしまいましたが。

自転車で家へと帰る途中に、いつも四柱神社がありました。

当時は今ほど信心深くなかったですけど、私の高校時代の思い出の中には、当時の四柱神社や、神社のすぐ横にあった鶴林堂書店の長細いビルの景色が今も鮮明に残っています。

18歳で関東に出てしまったことに加え、その後、実家が松本郊外に引っ越してしまったせいもあり、ずいぶんとご無沙汰してしまっていた、しんと、四柱神社様。

久しぶりにお詣りしようと拝殿に近づくと、境内はお祭りと言うこともあり賑やかでしたのに、ラッキーなことにいきなり誰もいなくなる奇跡のようなタイミング。

人払いしてくださったのでしょうか(冗談です笑)。

「おお、お前。元気でやっておったか」と神様がたがニコニコと笑って迎えてくださっているような気がして、胸に迫るものがありました。

まさかこんな人生になるとは夢にも思いませんでしたけどね。

神様、私はそれでも、なんとか生きています。

その節は失礼ばかりで申し訳ありませんでした。

この歳になって、またいろいろと家族の環境が変わっています。

これからはしばらくの間、折に触れて参拝する機会が増えそうな四柱神社様に手を合わせ、深く、深く、祈りを捧げて、松本を後にした結城でした。

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この記事を書いた人

占術家、「幽木算命塾」塾長、怪異蒐集家。
算命学、紫微斗数、九星気学などの占術を使い、運命(宿命、運勢)という名の神秘の森に分け入る日々。
通信制私塾「幽木算命塾」で後進の指導にあたる。
占いで出逢ったお客さまなどを中心にさまざまな怪異を蒐集し、竹書房怪談文庫などで公開も。
奇妙な毎日は、ご神仏とともにある。

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