師匠と弟子

そんなに頻繁、というわけではないけれど、このごろ時々、

「弟子にしてください」

というかたがいる。

昨年ぐらいからだろうか。

最初は「いやいや、ご冗談でしょ。あはは」などと笑って断っていたが、ポツリ、ポツリ、と同じようなことを言われるようになり、ちょっと腕組み。

「学ぶ」というだけでなく「伝える」という使命に気づけと、天からサインを出されているのではないかという思いを抱くようになる。

私自身、仏教、仏画、算命学、九星気学、紫微斗数、小説創作など、いずれも尊敬する師に就き、ご指導いただきながら学んでいる。

仏教は、正確には私は在家なので「師匠」とお呼びすることはできないが、私の中ではその先生は、実際に出逢う前からまぎれもない「師」だった。

先生がいろいろなところで発信されている教えが、私にとっての仏教の背骨になった。

つまり私の頭の中にあるのは、そんなふうに私に道を授けてくださる、各分野の師匠の顔、顔、顔。

後ろ姿、後ろ姿、後ろ姿。

それを思えば、とうてい私は器ではない。

だがそれでもと、やはり私は腕組みをする。

あと何年、元気に生きられるのだろうと、思う年になった。

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この記事を書いた人

占術家、「幽木算命塾」塾長、怪異蒐集家。
算命学、紫微斗数、九星気学などの占術を使い、運命(宿命、運勢)という名の神秘の森に分け入る日々。
通信制私塾「幽木算命塾」で後進の指導にあたる。
占いで出逢ったお客さまなどを中心にさまざまな怪異を蒐集し、竹書房怪談文庫などで公開も。
奇妙な毎日は、ご神仏とともにある。

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